妖怪は今に至るまで、多くの学者や文化人、メディアなどの影響を受けて、その言葉のもつ意味は複雑な変遷をたどってきました。
各妖怪文化人それぞれの“妖怪“観、現在の学問における“妖怪”、はたまた近年の大衆文化における“妖怪”・・・これらが全く異なるモノであることは、近年になって妖怪についてあれこれと分析されている御仁たちの仕事のおかげでかなり整理されてきていると思います。
今回は、そんな“妖怪”という存在について深く考察をしている京極夏彦大先生の『妖怪の理 妖怪の檻』を参考にしながら、現在界隈では話題となっている妖怪仮装や、ひな吉がやろうとしている都市伝説軍団が、一体どんな位置づけとなるのかについて考察したいと思います。
“妖怪”の区別
さて、まずは現代における大衆にとっての“妖怪”―――すなわち大衆文化における“妖怪”がどのようなものであるのかをまとめていきましょう。
大衆文化における“妖怪”のことを、京極夏彦は通俗的“妖怪”という言葉を用いて、民俗学の“妖怪”とは区別して説明しています。この二つの“妖怪”には明確な違いがあります。このことについて、京極夏彦の本にのっとって「ぬりかべ」を例に出してまとめてみましょう。
民俗学の“妖怪”
まず、「ぬりかべ」とは柳田國男の「妖怪名彙」には要約すると以下のように説明されています。
福岡県の海岸には夜、歩行中に突然前方を塞がれる現象をヌリカベと呼んでいる。
つまり、「ぬりかべ」というモノ―――つまり存在はいないのです。あくまで現象を体験した人がいるだけであり、「ぬりかべ」という名の何かしらの存在がいるわけではないのです。そうした現象=“コト”を、柳田國男は“妖怪”という言葉でカテゴライズしました。これが、民俗学における“妖怪”です。
通俗的“妖怪”
しかしながら、我々の知る「ぬりかべ」はこのような図像をしているのではないでしょうか?
我々のよく知る“妖怪”「ぬりかべ」は、柳田の記述した現象=“コト”を水木しげるがモノ―――存在するモノとして漫画的に表現したものです。つまり、「歩行中に壁のようなものが現れ動けなくなる体験」というコトをモノ化させたのです。
コトがモノ化している―――これが、通俗的“妖怪”です。
通俗的“妖怪”の種類
では、続いて通俗的“妖怪”にはどのようなものがいるのかについて考えていきましょう。
京極夏彦は、通俗的“妖怪“を大きく二パターンに分けます。それが、江戸時代における“化け物”群と、水木しげる作品である「ゲゲゲの鬼太郎」によって有名になった“妖怪”群です。
まずは、江戸時代における“化け物”群から見ていきましょう。
“化け物”群・・・著作権フリーで商品化された人気キャラクターたち (例:一つ目小僧、からかさお化け、ろくろ首など)
一体どういうこっちゃいとなるでしょうが、要するに、一つ目小僧や見越し入道といった、江戸時代に図像で登場するようになった、いわゆる“化け物“たちは、当時のメディアである黄表紙や双六などによって有名になったキャラクターなのです。
名前をよく見ると、「一つ目小僧」も「からかさお化け」も、河童や天狗のような特殊な固有名詞ではありません。それぞれ「一つ目の小僧」であり、「からかさのお化け」なわけで、別に「五つ目小僧」でも「手ぬぐいお化け」でも構わないわけです。各々のキャラクターのデザインは不特定多数の人々によってなされ、その中からたまたま人気になったのが「一つ目小僧」や「ろくろ首」であった、ということなのです。
なので、これらは土地や民俗と結びついた個々の伝承におけるモノゴトと、キャラクターのモノは同一ではありません。
いや待て、じゃあ「見越し入道」はどうなるんだ―――そんな声が聞こえてきそうです。確かに、「見越し入道」は江戸時代の有名な“化け物”キャラクターであり、民間伝承にも似たようなモノが語られることがあります。
では、まずはこちらの画像をご覧ください。おそらく多くの人々がイメージするであろう、「見越し入道」です。
例えば、伝承において「見越し入道」は「高坊主」「次第高」などの各地に伝承こそあるのですが、その伝承の中に「見越し入道」がこの絵のような姿をしているという記述は含まれていないのです。つまり、伝承とは切り離されたキャラクターとして大衆に消費されてきたというわけです。これらは現在に至るまで引き継がれ、後に後者である「ゲゲゲの鬼太郎」“妖怪”群と合流することになります。
続いて、「ゲゲゲの鬼太郎」によって有名になった妖怪群です。
「ゲゲゲの鬼太郎」“妖怪”群・・・水木しげる「ゲゲゲの鬼太郎」によって有名になった“妖怪“であり、すべて(一部例外)に民間伝承が残っており、それをもとに構築されたキャラクター (例:一反木綿、こなきじじい、ぬりかべなど)
これらはイメージがつきやすいのではないでしょうか。皆さんは「一反木綿」や「こなきじじい」と聞いて、まず思い浮かべるのはこうした図像だと思います。
これらの「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する“妖怪”たちには民間伝承が残されており、その伝承になぞって、あるいは明確な図像がないものは、水木しげるがカタチを与えて生み出された“妖怪”です。
“妖怪“の仕組み
結論からいいますと、通俗的“妖怪”は、水木しげるの手によって完成されたといえます。我々がある絵をを見て、ぱっと「それは妖怪だ」と思うのは―――思うことができる基盤があるのは、水木しげるの手によって生み出された“妖怪”たちがいたからこそといえるでしょう。要するに、水木しげるは万人にとって受け入れられる“妖怪”を認識するための“型“を生み出したのです。
では、その型はどのような仕組みになっているのでしょうか。これはかなり複雑ですので、図を用いて説明することといたします。
通俗的“妖怪”のいわゆる元となるものは、民間伝承や俗説的知識、創作された物語などです。こうした情報はその“妖怪”に関するモノゴトでなければなりません。
しかし、こうした情報は具体的な映像をもたないことがほとんどです。そのため、水木しげるはこれらにカタチを与えるために、外部から外見だけの素材を持ってきます。
この外見だけの素材というのは、“妖怪”に関係ないもの―――例えばとある民俗儀式のお面であったり、どこかの民族の民俗衣装であったりします。しかし、あくまで外見だけの素材であるため、元となる情報には影響を与えません。
水木しげるのすごいところは、この外見だけの素材の組み合わせ方です。妖怪らしさというのでしょうか・・・明らかにこれは人でも動物でも器物でもない、「妖怪である」と言わせるような姿を生み出したのです。
そうして、情報だけであった“妖怪”はカタチを持ち、キャラ化―――つまりはコトからモノへと変化します。こうして、妖怪キャラが生まれるのです。
妖怪キャラは、現実の世界でもそのデザインされた姿のままです。どういうことか、少々複雑になってしまいますが順を追って説明いたしましょう。
「ゲゲゲの鬼太郎」作品の「ぬりかべ」は、元となる情報は姿形のない、ただの現象であります。しかし、妖怪キャラになったことで、「ぬりかべ」は水木の手によって、あののっぺりとしたはんぺんのようなカタチで、漫画やアニメ作品の中では表現されるようになりました。
では、その妖怪キャラ「ぬりかべ」は現実の世界にではどのように表現されるのでしょうか?
ずばり、あのままの形でフィギアとなります。つまり、現象としての「ぬりかべ」が情報として現実にはありながらも、妖怪キャラとしての「ぬりかべ」も同時に存在することとなるのです。
人が“妖怪”の姿をとるということ
さて、長い前置きとなってしまいましたが、ようやく本題である“妖怪”仮装というものはどういうものであるのかについて考察していきましょう。
エンターテインメントとしてやる以上、“妖怪”仮装で扱われる“妖怪”は通俗的“妖怪”であるといえそうです。つまり、人間が妖怪キャラを仮装しているといえます。
ですが、ここで注意しておきたいのが、仮装されている元ネタとなる“妖怪“キャラは、作品上における妖怪キャラクターではないということです。つまり、「ゲゲゲの鬼太郎」や「妖怪ウォッチ」のコスプレではありません。
なので、図に落とすとこのように描けるのではないでしょうか。
水木しげるによって、“妖怪”はオリジナルとなる情報から一度漫画・妖怪画というカタチでキャラ化されてから、現実世界に妖怪キャラクターとして顕現します。つまり、フィギアの「ぬりかべ」です。
しかし、“妖怪”仮装はその間にあった二次元上にいったんキャラ化させる作業をすっとばし、いきなり現実の世界で“妖怪”キャラクターを顕現させるのです。
これは、現代において“妖怪”概念がかなり浸透しているからこそできる芸当なのではないでしょうか。でなければ、“妖怪”仮装をする人たちは、ちょっと古めかしい謎の恰好をしている人々、という印象しか与えることができません。
なので、狐耳と尻尾に和服の人→妖狐の仮装、頭にお皿で全体的に緑色→河童という具合に、“妖怪”を彷彿させる外見だけの素材の記号化が進んでいるのではないかと考えられます。
参考文献
京極夏彦(2020)『妖怪の理 妖怪の檻 (3版)』(角川文庫)←もはやひな吉のバイブルとなりつつある、妖怪の解体書ともいうべき一冊。全妖怪好きさんにはぜひとも読んでいただきたい。