妖怪学入門 ~怪異を学ぶ~ 考察

都市伝説考 ~“都市伝説”を仮装するということ~

 当サイトの管理人は、筑波大学で都市伝説をモチーフとした仮装行列イベントを企画しております。

 その発信と、自分の中の知識を反芻する場として当サイトを運営しておりますが、都市伝説仮装行列における、“都市伝説”というものは、一体どういう位置づけになるのか。きちんと定義していなかったと思い当たりました。

 そのため、今回の記事では、

そもそも都市伝説とはいったい何なのか。

都市伝説仮装行列における、“都市伝説”というものは、一体どういう位置づけになるのか。

 今一度、これらについて再考察したいと思います!

”都市伝説”について

都市伝説の経緯

 さて、まずは都市伝説がいかにして生まれたのかについてまとめていこう。

 都市伝説とは、近代あるいは現代に広がったとみられる口承の一種であるとされる。辞書的な定義では、「口承される噂話のうち、現代発祥のもので、根拠が曖昧・不明であるもの」と解説されている。

 「都市伝説」という言葉が、日本に登場したのは1988年のジャン・ハロルド・ブルンヴァンの著書『消えるヒッチハイカー』が大月隆寛、重信幸彦ら民俗学者によって訳された、アーバン・レジェンド(Urban Legend)という造語の訳語としての「都市伝説」が最初であるとされる。

 ここで注意したいのは、大月らには、停滞している日本民俗学に「都市」という概念で揺り動かそうとする目的があった。しかしm元来の「urban legend」の研究手法は従来の口承文芸研究と変わらず、日本の民俗学においてもパラダイムの刷新には至らなかった。

 そんな折に、常光徹の『学校の怪談』が注目されたことで、商業メディアに注目され、ブームが起こる。

 このときに、「商業メディアで広めて流行らせる商品」として「都市伝説」は毛色を変えてしまい、いわゆる芸能化してしまう。

 現代的な怪談から、陰謀論まで、とにかく様々なオカルトジャンルを含むブラックボックスと化してしまったといえるだろう。

仮装行列における“都市伝説”とは

”都市伝説”の何をテーマとしているのか

 仮装行列イベントでは、“都市伝説”をモチーフとしようとしているが、”都市伝説”の中でも、とくにキャラクター化した怪異をテーマとしていると言えそうである。

 例えば、「口裂け女」や「人面犬」などを想像してほしい。「口裂け女」や「人面犬」は、広く大衆にそのキャラクター性が浸透したことで、広義な意味で使う“都市伝説”とは一線を画すような存在である。

 朝里樹は著作『日本現代怪異事典』の凡例の項にて、「1954年・昭和20年以降の日本を舞台として語られた、都市伝説、学校の怪談などに登場する怪異のうち、基本的には明確な作者が存在せず、人々の間で事実として語り広まっていると思われるものを収集し・・・・・」と述べている。すなわち、“現代怪異”の一部に“都市伝説”が含まれているのだと考えることができる。
 
 先に述べたように、都市伝説という言葉は、メディアで転がされ続け、「人々の間で事実として語られる噂」などの、言ってしまえばブラックボックスのようなものになってしまっている。つまり、“都市伝説”=「人面犬」や「口裂け女」などのキャラクター化した怪異だけを指すのではないのだ。また、ここで勘違いをしてはいけないのは、“現代怪異”という言葉も、キャラクター化した怪異のことを指しているわけではない。
 
 複雑な言い方になってしまうが、「口裂け女」や「人面犬」は、“現代怪異”と“都市伝説”という、二つの輪っかが重なりあう部分にちょうどいる存在たちであると、解釈できるのではないだろうか。
 加えて、”都市伝説”という大きなくくりの中でも、彼らは「人面犬=人の顔を持った犬」「口裂け女=口の裂けた、赤いコートを着た女」といった具合に、完全にキャラクター化しているという点をあげられる。

 ここでいったんまとめると、

①現代的な怪談(都市伝説を含む)であること

②キャラクター化していること(あるいはキャラクター化されたもの)

  ひな吉が仮装モチーフとして求めている“都市伝説”のなかの存在たちには、このような条件が想定できる。

“妖怪”仮装と”都市伝説”仮装の差別化 

 各種イベントで行われている“妖怪”仮装と区別したいところは、モチーフとされるものの条件が、現代的であることが含まれていることが指摘できる。

 “妖怪”仮装は、大衆の抱く“妖怪”イメージの総まとめでできていると考える。

 なぜなら、「どういうものかわからないけど、なんか“妖怪”っぽい」と見た者に思わせることができた時点で、“妖怪”仮装ができていると判断できる。つまり、基準はあくまで見る者の“妖怪観“に左右されるのだ。

 この一般的な妖怪観がどういうものであるかを、京極夏彦が『妖怪の理 妖怪の檻』で以下のように分析している。

前近代的である

②(柳田)民俗学と関わりがある

③通俗的である

 こうした認識は、他の記事でも言及しているように、水木しげるをはじめとする文化人たちのおかげで、これまで数多く突発的に生じた妖怪ブームの波により、“妖怪”という概念は大衆に浸透しきっている。だからこそ、京都一条百鬼夜行のような、イメージが統一された“妖怪”仮装が実現できるのだと考えられよう。

 一方で、“都市伝説”の仮装ははたしてどうなのか。

 都市伝説は、イメージがいまだに固定化されていないものである。何より、”都市伝説”という言葉自体が、色々なものを包括しており、イメージの統一が図りにくい。

 しかし、有名どころの「人面犬」や「口裂け女」は、人々の間でなんとなく、”妖怪”とは区別され、”都市伝説”として認識されている。インターネット上で誕生した怪異たちを、“妖怪”と同じくくりにすることは少ないだろう。

 区別される大きな点が、前近代的―――すなわち、どこか古めかしいイメージが漂っているという枠組みから出ている、ということなのではないかと指摘したい。

 まさに、都市の抱える闇を具現化した怪異のキャラクターである・・・それをいかに追求し、仮装という形で表現するのか。

 今後の課題が見えてきそうだ。

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